「合気道はなぜ強いのか?」から考える武術論(その4)
日本でも中国でも武芸十八般と言われ、様々な武器術を学ぶことが戦国時代の習わしであったが、その技を完全に習得は無理で、あくまで武芸全体の体系を表す言葉だったと思われる。
今の時代につながる【伝統武術の構造】を示したのが図。様々な武器術はひとつとした、また寝技は省略している。
宮本武蔵は生涯60余の試合(おそらく一対一の勝負)の他、関ヶ原の合戦など大集団戦に自ら参加している。この時代、合戦で功を上げるためには集団戦で勝ち抜く技術が必要であった。五輪書の中で「集団で戦うときには二刀をもって戦え」と書き記している。集団戦を勝ち抜く知恵など、体験した者でないと知り得ない要訣も記されているが、このような部分は見落とされがちだ。
現代の剣道や、江戸期に発達した剣術(スポーツ的に発展)はd2の局面切りしか想定しないが、武蔵の武術はd2だけでなくd1の局面も想定、それを体験していたことを忘れてはいけない。洋の東西を問わず、伝統武術、古武術と呼ばれるものは比重の差こそあれ、この16局面のすべてを想定している。
ボクシング、ムエタイ、テコンドー、空手の打撃格闘技は全てa4、柔道や相撲はb4、サンボや柔術はc4とb4、総合格闘技はa4、b4、c4の局面を持つ。簡略化したこの図の中でも、格闘技の占める局面の割合が低いことはわかるだろう。格闘技しか知らない人が、伝統武術の実戦性を語るときに間違うのは、狭い局面の価値観をそのまま広い武術世界にあてはめようとするからだ。スポーツは多様な世界の一部を切り取ったものとの認識があればこのような誤解は生まれない。
合気道は、近年になって植芝盛平が創設したものだが、その源流は武田惣角が伝えた大東流であり、その大東流は日本の古流柔術の一種と考えていい。従って合気道は(中国武術も)【伝統武術の構造】を有しているから強い、と単純に言えるだろうか?それが結論ならば、組手を怖がり、神秘的な力にあこがれる武術マニアは喜ぶのだろうが現実はそんなに甘くない。
私見では今日の合気道(中国武術も)を学ぶ人で実戦力を持っている人はほんのわずかである。ルールがある格闘技を学んでいる人と比べ、彼らの実戦対応力は驚くほど低いと言わざるを得ない。では彼らは、格闘技と比べて完璧な武術の構造を備えているにもかかわらずなぜ弱いのか、次はこの視点で考えてみる。(続く)
引用の文献「合気道と中国武術はなぜ強いのか?(山田英司)」
最初本の表題を読んだとき、型稽古が中心の合気道を揶揄した本かと思ったがそれは誤りで、表題通りの主張が新たな気づきと感動を与えてくれた。整理されたり考えたことを書いていくが、あくまで金子の咀嚼であることご容赦
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